夕方になると、わが家には毎日ほぼ決まった時間に、ある“現象”が訪れるようになった。
時計を見ると、だいたい17時半すぎ。
さっきまで機嫌よくしていた赤ちゃんの顔が、少しずつ曇りはじめ、18時を回ったころには、まるで誰かが見えないスイッチを押したかのように、泣き出す。
最初は、原因探しに必死だった。
おむつは?
さっき替えた。
ミルクは?
飲んだばかり。
暑い?寒い?
室温は問題なさそう。
それでも泣く。
しかも、だんだん声が本気モードになっていく。
「これは…何が起きているんだ?」
医療職として「原因があるはず」と思ってしまう性分もあり、
私は毎日のように頭の中で鑑別診断のようなことをしていた。
腹痛?
眠気?
刺激過多?
それとも、ただの機嫌?
しかし、どれにもはっきり当てはまらない。
そんなとき、育児書の片隅に書かれていた言葉に目が止まった。
「黄昏泣き」。
夕方から夜にかけて、理由がはっきりしないまま激しく泣く、乳児期特有の現象。
多くは生後数週から始まり、3〜4か月頃には自然と落ち着く。
読んだ瞬間、思わずこう思った。
「それ、毎日うちで起きてます。」
黄昏泣きの面白いところは、時間がやたらと正確なことだ。
今日も、
昨日も、
一昨日も、
ほぼ同じ時間帯に始まる。
まるで、赤ちゃんの体内時計に「夕方アラーム」が内蔵されているかのようだ。
わが家では、夕飯の準備を始めようとした瞬間に始まることが多く、
片手でフライパン、片手で抱っこ、という妙なバランス訓練が日課になった。
火を止めたまま、
泣き止むのを待つ。
結果、夕飯はよく冷める。
親の腕はよく鍛えられる。
謎の持久戦である。
原因は、実は今でもはっきり分かっていないらしい。
脳や神経の発達がまだ未熟で、
日中に受けた刺激をうまく処理できず、夕方に一気に疲れが出る説。
昼夜のリズムがまだ整っていない説。
消化機能が未熟で、お腹の張りや不快感が関係する説。
どれももっともらしい。
そして、どれも「今はそういう時期です」としか言いようがない。
つまり、**黄昏泣きは、病気ではなく、成長の途中で起こる“仕様”**らしい。
そう分かっても、実際に泣き声を聞いていると、
頭で理解するのと、心が追いつくのは別問題だ。
ある日、ふと気づいたことがある。
私はいつの間にか、
「泣き止ませること」ばかりに集中していた。
抱っこして、
揺らして、
歩き回って、
泣き止まないと、少し焦る。
でも、黄昏泣きには、
「これをすれば必ず止まる」という正解はない。
静かにする。
部屋を暗くする。
外の空気に当たる。
縦抱きにする。
どれも多少は効く。
でも、効かない日も普通にある。
そんなとき、思い切って、
「止める」のをやめてみた。
安全だけ確保して、
抱っこしながら、
ただ一緒に泣く時間として過ごす。
すると、不思議と、
こちらの気持ちのほうが少し楽になった。
そして、もうひとつ気づいたことがある。
あれほど毎日続いていた黄昏泣きは、
ある日を境に、少しずつ減っていった。
泣く時間が短くなり、
声の勢いが弱くなり、
気づけば、夕方が静かに過ぎる日が増えていた。
「いつ終わったのか」は、正直よく覚えていない。
でも、確実に、終わっていた。
今振り返ると、
あの時間は、赤ちゃんが必死に世界に慣れようとしていた時間だったのだと思う。
光、音、人、昼と夜。
小さな体で、それらを毎日必死に処理して、
夕方になると、限界が来て、泣いていたのかもしれない。
もし今、黄昏泣きの真っ最中にいる人がいたら、
トムパパ的には、これだけ伝えたい。
それは、あなたの育て方のせいではない。
それは、あなたの抱っこが下手だからでもない。
それは、赤ちゃんが順調に成長している証のひとつだ。
今日も夕方が来る。
また泣くかもしれない。
でも、その時間は、
意外とあっさり、終わる。
そして終わったあと、
「あの時間、大変だったなあ」と、
少しだけ懐かしく思い出す日が、きっと来る。
冷めた夕飯と、
鍛えられた腕と、
夕暮れの泣き声。
あれは、あれで、
ちゃんと育児の一場面だったのだと思う。