
先日、思いがけず95歳の方とゆっくりお話しする機会があった。
年齢を聞いただけでも背筋が伸びるのに、その方は戦争当時のことを、まるで昨日の出来事のように語ってくださった。
一番印象に残ったのは、「とにかくお腹が空いていた」という言葉だった。
毎晩のように空襲警報が鳴り、防空壕へ走って逃げる。自分の家の庭に穴を掘り、そこに身を潜めて夜を明かす。爆音が聞こえるたびに、次は自分の番かもしれないと息をひそめていたそうだ。
防空壕の中は暗く、湿っぽく、子ども心にも「ここで死ぬかもしれない」と思うほど怖かったという。
それでも一番つらかったのは、やはり空腹だったらしい。
配給は少なく、芋のつるや雑草を食べてしのいだこともあったという。
「今の人は想像もできないだろうね」と、少し笑いながら話してくれたが、その笑顔の奥には、きっと言葉にできない記憶が詰まっているのだろうと思った。
話を聞きながら、ふと考えた。
この方が生きてきた約95年。その間に、世界はどれほど変わったのだろうか。
今の私たちは、コンビニに行けば24時間いつでも温かいご飯が買える。
スマートフォンがあれば、欲しい情報も娯楽も一瞬で手に入る。
お腹が空く前に何かを口にし、「今日は何を食べようか」と悩める時代だ。
それが、ほんの100年足らず前には、命を守るために穴を掘り、空腹を抱えながら夜を越えていた。
このスピード感には、正直、少し怖さすら覚える。
今は10年、20年で当たり前ががらりと変わる。便利さは増えたけれど、その変化についていく余裕が、心のほうには足りていない気もする。
では、自分はどうだろう。
毎日の食事に、心から感謝しているかと聞かれると、正直そこまでではない。
お腹が空きすぎて動けなくなった経験もないし、「食べられること」そのものを深く考える機会はほとんどなかった。
わが家の食卓を思い返してみる。
「今日のご飯なに?」と子どもに聞かれて、「なんでもいいよ」と適当に返す自分。
冷蔵庫を開けては、「あ、これ賞味期限切れてる」とため息をつき、そのままゴミ箱に入れてしまうこともある。
もしこの光景を、あの95歳の方が見たら、どんな気持ちになるだろう。
今の時代は、食べ物が大量に捨てられている。
コンビニのお弁当やパンが、まだ食べられるのに廃棄されていく現実。
当時を生きた人が見たら、きっと言葉を失うだろう。
「もったいない」という言葉では、追いつかない世界だ。
一方で、私たちは「豊かさ」に慣れすぎてしまったのかもしれない。
選択肢が多すぎて、ありがたみを感じにくくなっている。
不便さや不足があったからこそ、人は感謝できたのではないか。
そんなことを、ふと考えてしまう。
95歳のその方は、静かに、でもはっきりと話していた。
「あの頃を思えば、今は本当にありがたい時代だよ」と。
不思議と、愚痴や怒りは感じなかった。ただ、事実を伝えたいという思いだけがあった。
その言葉を聞いて、胸の奥がじんわり熱くなった。
この平和で便利な日常は、偶然そこにあるものじゃない。
多くの人の苦労や犠牲の上に、ようやく積み上がったものなのだ。
話を聞き終えた帰り道、いつもの景色が少し違って見えた。
コンビニの明かりも、スマホの通知音も、全部が“当たり前じゃない”ものに思えた。
つい先ほどまで、戦争の話を聞いていた自分が、数分後にはコーヒーを買ってスマホをいじっている。
このギャップが、なんとも不思議で、ちょっとだけ怖かった。
トムパパの好奇心として、今回ひとつはっきりしたことがある。
それは、歴史は教科書の中だけにあるものじゃないということ。
すぐそばにいて、耳を傾ければ、ちゃんと今とつながっている。
家に帰って、その日の夕飯をいつもよりゆっくり食べてみた。
「いただきます」を、少しだけ丁寧に言ってみた。
子どもにも、「ご飯ってね、昔は本当に大変だったんだよ」と、今日聞いた話をかみ砕いて伝えてみた。
正直、どこまで伝わったかは分からないけれど、それでもいい気がした。
せめて今日のご飯くらいは、スマホを置いて、味わって食べよう。
そんな小さなことから、大切にしていきたい。
100年でここまで変わった世界を、ただ消費するだけじゃなく、ちゃんと受け取れる大人でいたいと思った。
トムパパの好奇心日記、今日の結論。
「当たり前」は、実はとてもありがたい。
そしてそれに気づけた今日は、ちょっとだけいい一日だった気がする。