
店に入った瞬間、ちょっとした事件は起きた。
買い物かごを取ろうと一歩進んだ、そのときだ。私のすぐ前にはお母さん、その少し後ろにお父さんと男の子が並んで入店してきた。よくある家族の並び方で、特別な違和感はなかった。
入口に設置されている、足で踏むタイプのアルコール消毒スタンド。
男の子はそれを見た瞬間、完全にロックオンしていた。
お母さんは先に進いていく。
お父さんは後ろから男の子を見ている。
そして男の子は、そのちょうど中間で、スタンドの前に立ち止まった。
「やめなさい」と言う間もなく、
というより、何度か止めようとしたのだろう。
お父さんが声をかける前に、男の子はもう動いていた。
ペダルを、踏んだ。
シャーッ、という軽快な音。
そして上から降ってくるアルコール消毒液。
見事に、頭からかぶった。
一瞬、時間が止まった。
その場にいた全員が、同時に状況を理解したと思う。
お母さんは少し先に進んでいた分、振り返るのが一拍遅れた。
振り返ったときには、もう手遅れだった。
父親が思わず声を上げる。
「何やってんだよ!」
それにかぶせるように、お母さんが言う。
「やらせないでよ!」
責めるようで、でも半分は諦めたような声音だった。
「何度も止められなかった」という空気が、その一言に全部詰まっていた気がする。
私はその様子を、ほんの数歩先で見ていた。
確かに、その通りだなと思った。
公共の場で、しかも消毒液を頭から浴びるというのは、衛生的にも、服的にも、心情的にも、なかなかの事故だ。
親としては止めるべきだったし、止めようとしていたのも分かる。
父親の「何やってんだよ」も、母親の「やらせないでよ」も、どちらも正論だった。
でも同時に、別の感情も湧いてきた。
「ああ、分かるな」と。
男の子にとって、あの消毒スタンドはただの衛生器具ではない。
踏むと何かが起きる。
自分の力で世界が反応する。
それはもう、立派な実験装置だ。
止めようとしても、間に合わないことがある。
言葉が届く前に、体が動いてしまう瞬間がある。
子どもの冒険心とは、そういうスピードでやってくる。
父親の声には、驚きと焦りと、「またやってしまった」という自責が混じっていた。
母親の言葉には、日々の積み重ねと、「見てないわけじゃないのに」という疲れがにじんでいた。
どちらも間違っていない。
どちらも、たぶん正しい。
それでも私は、アルコールで髪を濡らした男の子を見て、少しだけ思った。
この失敗は、悪くない。
きっと彼は覚えている。
踏むと、上から降ってくること。
踏む場所を間違えると、こうなること。
次は踏まないかもしれないし、
次は横に避けるかもしれない。
あるいは、「これは危ないんだよ」と誰かに説明する側になるかもしれない。
どれにしても、それは経験だ。
止めきれなかった結果としての、ちゃんとした学びだ。
もちろん、毎回やらせていいわけではない。
安全も、周囲への配慮も、親の役目として大事だ。
でも、全部を完璧に止め続けることなんて、たぶんできない。
アルコール消毒スタンドひとつで、家族の空気が一瞬ピリつく。
そんな現実を横目にしながら、私は買い物かごを手に取った。
大人になるって、きっとこういうことなのだ。
冒険心を理解した上で、それでも止めなければならない場面が増えていくこと。
そして、止めきれなかったときに、少しだけ自己嫌悪すること。
床に残った消毒液の跡は、すぐに乾いて消えた。
でも、あの男の子の記憶には、しばらく残るだろう。
あまりにも珍しい出来事だったので、少し小説風にしましたww
皆さんは日々の生活で珍事件はありますか?
ありふれた日常も案外面白いことばかりなのかもしれません。