
先日、いつものように通勤電車に揺られていた。朝の電車って独特の空気がある。
寝てる人、スマホゲームしてる人、ひたすらLINEしてる人、そして…一生懸命単語帳をめくってる学生さん。
その姿を見て、ふと思い出したんだ。
「ああ、昔先生に言われたなぁ」って。
『今頑張ってるこの勉強が、君たちにとって人生で最後の勉強になるかもしれない』
受験前、よくそんなことを言われた。
もちろん、そのときの自分は「そっか、この受験さえ終われば、もうこんなに机に向かわなくていいのか!」って、ちょっと嬉しかったりしてた。
だけど、実際に社会に出てみて、今になって思う。
あのときの勉強って、本当に最後だったのか?
答えは、たぶんNOなんだよね。
大人になってからの「勉強」
学生のころの勉強は、確かにテストの点を取るためとか、受験のためだった。
教科書があって、授業があって、宿題があって。
やることが決まってて、終わりも決まってた。
でも、大人になってからの勉強って、誰も「勉強しろ!」なんて言わない。
むしろ「もう勉強しなくていいでしょ」みたいな空気もある。
けど、仕事をしてると
「え、この言葉知らないとまずいのか…」とか
「この制度、調べないとやばいな」とか
「もっと効率よくやる方法ないかな」なんて、気づけば学ばなきゃいけないことばかり。
そして、何より自分の趣味や興味の幅を広げるのも、結局は学びだったりする。
勉強の形が変わるだけ
あのときの先生が言った「この勉強が最後」っていうのは、あの形式の勉強が最後って意味だったんだろうな。
問題集を買って、単語帳を作って、模試を受けて、点数で比べられて。
大人になると、そういう明確な「テスト」はない。
けど、日々の中で知らず知らずのうちに、自分をアップデートしないといけないタイミングがくる。
たとえば、仕事で新しい役割を任されたとき。
社会のニュースを見て、なんでこうなるんだろうって気になったとき。
子どもができて、育児のことを調べるとき。
そのときに、あの受験のときみたいに机に向かうわけじゃないけど、確実に何かを学んでる。
社会人の勉強は「自分のため」
しかも、社会人の勉強って自分の意思次第。
やってもやらなくても、すぐに怒られないし、点数もつかない。
だけど、それをやってるかやってないかで、数年後の自分に差がつく。
最近、投資のこととか、健康のこととか、ブログの書き方なんかを調べるのが楽しい。
それも立派な勉強だと思うし、誰かに強制されない分、楽しくできるのも大人の勉強の良さだ。
昔の自分に言ってやりたい。
「受験が終わっても、勉強って終わらないぞ。でも、それって案外悪くないんだぜ」って。
電車の学生に思うこと
今日見かけたその学生は、ひたすら単語帳をめくってた。
あの一生懸命さ、すごくいいなって思った。
そして、あのときの自分も、こんなふうに必死だったのかなって、ちょっとだけ誇らしくなった。
もし今の自分が学生の自分に会えたら
「その努力、必ず何かの形で生きるよ」って伝えたい。
たとえ受験の点数に直接結びつかなかったとしても、そのがむしゃらさを知ってる自分は、この先も学びながら生きていける。
最後にひとこと
学生時代、先生に「これが最後の勉強だ」って言われたけど
実はそこからが本当の学びの始まりだったんだなって。
誰かに言われなくても、誰かに評価されなくても、自分のために学ぶ。
それが案外、楽しいもんだってことを、大人になって気づいた朝の電車でした。