トムパパの好奇心日記

日常の中で見つけた小さな好奇心を、トムと一緒に楽しんでみませんか?

【パパ106日目】2本目で気づいた?予防接種で見えた成長

今日は予防接種の日。
私は行けなかったけれど、あとから様子を聞いた。

最初の1本目は、きょとんとした顔でなんとか耐えたらしい。
ところが、反対の腕を打つために袖をまくった瞬間、とんでもない高音で泣き始めたという。

「ギャー!」というより、「ピー!」に近い声。
一本目で何かを理解したのだと思う。

さっきのチクッとした感覚。
押さえられる腕。
目の前の大人たちの動き。

それらが頭の中でつながって、「また来る」と分かったのかもしれない。

ただの反射ではなく、経験が次につながっている。
小さな体で、ちゃんと学んでいるのだなと思う。

最近は哺乳瓶も認識している様子がある。
見ると表情が変わり、口を動かして準備を始める。
「あ、ミルクだ」と分かっているように見える。

父と母の違いも、少しずつ分かってきている気がする。
抱っこされたときの反応が、前よりはっきりしてきた。

今日の注射も、きっとまた一つの経験として積み重なったはずだ。
痛みは一瞬でも、覚えることはたくさんある。

泣き声は大きかったけれど、それだけちゃんと感じているということ。
そう思うと、成長の一場面だったのだなと感じる。

【パパ105日目】まとめ買いと、夕方のお風呂の力

今日は昼間、ベビーカーを押しながらまとめ買いに行きました。

5日分のお肉をまとめて購入。冷凍野菜も補充して、平日のごはん作りが少しでも楽になるように準備。ついでに、ほんの少しだけお酒もカゴへ入れました。

帰り道はなかなか大変でした。
大量の荷物を持ちながらベビーカーを押して歩くのは、思った以上に重労働。段差や坂道のたびに気を使います。

途中で「おんぎゃー」と目を覚ますこともありましたが、そのまま寝続けてくれる時間もありました。
日差しがベビーカーに入ると目を閉じ、日陰に入ると目を開ける。まぶしさに反応している様子がなんとも忙しそうで、見ていて少しおもしろく、そして愛おしく感じました。

家に帰ってからは、少しリズムが崩れ気味。

うとうと寝たかと思えば、30〜40分ほどで起きてしまう。
また寝て、また起きての繰り返し。抱っこして、置いて、様子を見て…の連続でした。

それでも、今日はひとつはっきりしたことがあります。

18時ごろにお風呂に入れると、そのあとはすっと眠りに入り、夜はしっかり寝てくれました。

昼間は細切れ睡眠でも、夜にまとまって寝てくれるだけで気持ちはずいぶん楽になります。完璧な一日でなくてもいい。夜が穏やかなら、それで十分だと思えます。

パパ105日目。
明日もまた、慌ただしい一日になると思うけれど、夜にすやっと眠る顔を見られたら、それで十分。

【悲報】お風呂の通知音、空気を読まない。~黄昏泣きとの戦い、敗北の記録~

 

こんにちは、トムパパです! 今日も今日とて、育児という名の「予測不能なミッション」に挑んでおります。

世の中のパパ・ママなら一度は経験があるはず。 「ようやく……ようやく寝てくれた……!!」 という、あの震えるような感動の瞬間。

しかし、その感動は、ある「電子音」によって無残にも打ち砕かれることになりました。今日は、我が家のリビングが戦場と化した、悲劇(?)の記録を綴りたいと思います。


魔の「黄昏泣き」タイム、奇跡の終焉

今日の夕方は、いつも以上にハードでした。 そう、育児界のラスボスの一つ、**「黄昏泣き」**です。

夕方から夜にかけて、理由もなく泣き続ける我が子。抱っこしても、あやしても、歌っても、何をやってもダメ。小さな体で全力で泣き叫ぶ姿を見ていると、「こっちが泣きたいよ……」と遠い目をしてしまいますよね。

今日もご多分に漏れず、全力のギャン泣き。 妻と交代で抱っこし、スクワットを繰り返し、ようやく、ようやく……! 奇跡的にスッと眠りについてくれたのです。

時計を見ると、もう夜。 「よし、今のうちだ。今のうちにお風呂を済ませて、自分たちもリセットしよう」 そう確信した私は、音を立てないように忍び足でキッチンへ向かい、給湯器の「自動」ボタンをそっと押しました。

この時の私は、まだ知りませんでした。 我が家の給湯器が、どれほど「仕事熱心」であるかを。


静寂を切り裂く、あのメロディ

お湯が溜まるまでの間、私はリビングで息を潜めていました。 寝室からは、すやすやという愛おしい寝息。 「ふぅ、今日はゆっくり湯船に浸かれるかもしれないな……」 そんな淡い期待を抱きながら、スマホを眺めていたその時です。

♪~「お風呂が沸きました」

静まり返った家中に、あまりにもクリアで、あまりにも陽気な通知音が鳴り響きました。 いつもは「お、沸いたな」とありがたく感じるはずのあのメロディが、今日に限っては、まるで開戦の合図のホーンのように聞こえたのです。

「あ……」と思った瞬間には、もう遅かった。


ギャン泣き再開、そしてカオスへ

「ふぎゃあああああああああ!!!」

寝室から聞こえてきたのは、先ほどまでの静寂を粉々に粉砕する、本日最大級のギャン泣きでした。

いつもなら、多少の物音やテレビの音では起きない子なんです。 でも、なぜ。なぜ今日に限って。 なぜ、あのわずか数秒の通知音に反応してしまったのか。 赤ちゃんに備わっている「パパを休ませないセンサー」の精度には、脱帽するしかありません。

慌てて寝室に駆け込みましたが、時すでに遅し。 我が子は真っ赤な顔をして、フルパワーで再起動。 一方で、浴室からは**「お風呂が沸きました(ドヤッ)」**と言わんばかりの、温かい湯気が立ち込めています。

お風呂は準備万端。 でも、パパはもうお風呂どころではありません。 抱っこ紐を装着し、再びスクワットを開始する私。 背後で鳴り続ける、「お風呂に入ってください」と言わんばかりの追い炊き完了のサイン。

リビングには赤ちゃんの泣き声が響き渡り、浴室からはホカホカの湯気。 この**「入りたいのに入れない」というシュールな地獄絵図**。 まさに、我が家はカオスそのものでした。


今回の教訓:文明の利器を過信するな

結局、その後もしばらく泣き止まず、私はせっかく沸いたお湯が冷めていくのを横目に、小一時間リビングを徘徊することになりました。

今回の事件で、私は深く反省しました。 給湯器は、主人の状況なんてこれっぽっちも考えてはくれない。 彼はただ、忠実に「仕事が終わったこと」を報告してくれただけなのです。

これからは、以下の鉄則を胸に刻みます。

  • 「自動」で沸かすなら、設定音量は最小(もしくはオフ)にする。

  • 沸き上がる数分前に、手動でお湯を止める。

  • あるいは、沸く瞬間に給湯器パネルの前で待機し、音が鳴る瞬間にボタンを連打して黙らせる。

育児において、「音」は時に最大の敵になります。 忍者のように、気配を消し、音を消す。 これこそが、現代のパパに求められる必須スキルなのかもしれません。


おわりに

ようやく子が再び眠りにつき、私が冷めかけたお湯に浸かれたのは、日付が変わる頃でした。 体は温まりましたが、心には「通知音への恐怖」が刻まれました(笑)。

皆さんのご家庭でも、「この音が原因で起きた!」というエピソードはありますか? インターホン、くしゃみ、ポテトチップスを食べる音……。 育児の道は、地雷原を歩くようなものですね。

明日は、絶対に通知音が鳴る前に止めてみせます。 トムパパの戦いは、まだまだ続きます!

それでは、また次回の好奇心日記でお会いしましょう。

生後3か月でミルク200mlは飲みすぎ?本気で心配して相談した話


生後3か月。
我が家の赤ちゃんは、1回に200mlのミルクを飲むようになりました。

2か月の頃は、
だいたい140〜160ml

そこから、気づけば200ml。

正直、最初に思ったのは――
「え、これって飲みすぎじゃない?」でした。

今日は、
生後3か月のミルク量で本気で悩み、相談し、調べ尽くした話を、
同じように不安になっている親御さん向けに書いてみます。

 


① 200mlを飲んだ日の、正直な気持ち

初めて200mlを飲み切った日、
嬉しいより先に、不安が来ました。

・こんなに飲んで大丈夫なのか
・胃に負担がかかっていないか
・太りすぎにならないか
・将来に影響しないか

「よく飲む子ですね」と言われても、
心の中ではずっと、
“多すぎるのでは”という疑いが消えませんでした。

医療職として働いていても、
我が子のことになると、
理屈より不安のほうが勝つものだと、身をもって知りました。


② 一時期、本気で飲みすぎを疑って相談した

不安が強くなり、
一時期は本気で“飲みすぎではないか”と心配して相談しました。

聞きたかったのは、たった一つ。

「この量、異常じゃないですか?」

返ってきた答えは、とてもシンプルでした。

・体重増加は順調か
・吐き戻しは多くないか
・機嫌は悪くないか

この3つが大きな問題なければ、
量そのものより“その子の様子”を見ることが大切だと。

ここで、ようやく気づきました。

「数字だけを見て、不安になっていたな」と。


③ データを調べて、さらに混乱した話

安心したい一方で、
私は典型的に、データを調べすぎる親でもありました。

調べると、こんな情報が出てきます。

・生後3か月の1回量は160〜180ml
・1日の目安は700〜900ml

これを見て、
「やっぱり200mlは多いのでは?」と、また不安になります。

でも、よく読むと、
必ず書いてある一文があります。

「あくまで目安。個人差が大きい」

この“個人差”という言葉を、
頭では理解していても、
心ではなかなか受け入れられませんでした。


④ 飲みすぎかどうかを判断する、本当のポイント

いろいろ調べ、相談して、
最終的に私が大事だと思ったポイントは、数字ではありませんでした。

見ていたのは、次のことです。

・飲んだあと、極端に苦しそうではないか
・吐き戻しが頻繁に続いていないか
・体重が急激に増えすぎていないか
・機嫌が悪くなっていないか

我が家の場合、
200ml飲んでも、

・吐き戻しは少ない
・機嫌はいい
・体重増加も成長曲線内

この状態なら、
**「この子には、この量が必要なんだ」**と、少しずつ思えるようになりました。


⑤ 「飲みすぎ」より怖かったのは、親の思い込み

今振り返ると、
いちばん怖かったのは、ミルクの量そのものではなく、
「目安から外れる=異常」と思い込んでいた自分でした。

育児書やネットの数字は、
あくまで“平均”。

でも、赤ちゃんは平均値で生きていません。

よく飲む子もいれば、
少食な子もいる。

我が子は、
ただ「よく飲むタイプ」だっただけなのだと、
今では思います。


⑥ 同じように悩んでいる方へ

もし、この記事を読んでいるあなたが、

・生後3か月で200ml飲む
・2か月で160ml飲む
・飲みすぎではと不安

そう感じているなら、
まずは量よりも、赤ちゃんの様子を見てあげてください。

そして、
一人で抱えず、
不安なら必ず相談してください。

「心配しすぎですよ」と言われても、
親が心配になるのは、
それだけ本気で向き合っている証拠です。


まとめ:ミルク量より大事だったのは「安心できる視点」

我が家の赤ちゃんは、
2か月で140〜160ml、
3か月で200ml飲みました。

一時期は、
本気で飲みすぎを疑い、相談し、悩みました。

でも今思うのは、
ミルクの量より、親の不安のほうが大きかったということ。

数字は目安。
赤ちゃんは、それぞれ違う。

そう思えるようになってから、
育児は、少しだけ楽になりました。

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黄昏なきとは?具体的対処法3選!!

昨日の記事では、黄昏泣き
「病気ではなく、成長途中で起こる一時的な現象」であることを書いた。

頭では分かっていても、
実際に夕方になると、泣き声は容赦なく始まる。

「分かってる。
でも、今この泣き声を、どうにかしたい。」

そんなふうに思ったことのあるパパ・ママは、
きっと少なくないはずだ。

今日は、
わが家で実際に試して効果があったこと、
そして多くの育児現場や研究で勧められている
黄昏泣きへの具体的な対処法を、
できるだけ分かりやすくまとめてみたい。

 

1. 黄昏泣きの客観的事実

わが家でもそうだったが、
黄昏泣きは、ある日突然始まり、そしていつの間にか終わっていく。

まず知っておきたいのは、
この現象が「珍しいこと」でも「異常」でもない、という事実だ。

① 泣きのピークは生後1〜2か月

乳児の泣きについての大規模研究では、
泣く時間は生後6〜8週頃にピークを迎え、その後自然に減少することが知られている。

これは、Barrらの研究(Pediatrics, 1992)などで
「正常な泣きの発達曲線」として報告されている。

要するに、

  • 生後数週〜2か月頃が、人生でいちばん泣く時期

  • 3〜4か月頃には、多くの赤ちゃんで自然に減っていく

という流れは、
世界中の赤ちゃんに共通する、ごく普通の経過なのだ。

夕方の泣き声を前にすると、
「この子だけおかしいのでは」と思ってしまう。

でも、研究データを見ると、
**むしろ泣いている方が“標準的”**だったりする。

② 夕方から夜に泣きが集中することが多い

複数の研究で、
乳児の泣きは夕方から夜にかけて増える傾向があることが示されている。

英小児科学会(RCPCH)や米国小児科学会(AAP)の育児ガイドでも、
「Evening crying」「Evening fussiness」として説明されている現象だ。

つまり、
夕方に泣くこと自体が、発達上よくあるパターンであり、
特別な異常ではない。

毎日ほぼ同じ時間に泣くのは、
不思議でもあり、少し笑ってしまうほど規則正しい現象でもある。

③ 明確な原因は特定されていない

重要な点として、
現在までの研究で、黄昏泣きの単一の原因は特定されていない。

有力とされている仮説には、

  • 中枢神経系の未熟性

  • 概日リズム(体内時計)の未完成

  • 刺激処理能力の未熟さ

  • 消化管機能の未熟性

などがあるが、
どれも「成長途中だから起こる現象」と考えられている。

はっきりしているのは、
病気や異常だと示す研究結果は、現在のところ存在しないという点だ。

原因が分からない、というのは不安でもあるが、
同時に「治療が必要な病気ではない」という安心材料でもある。

④ 育て方や親の対応が原因ではない

AAP(米国小児科学会)やNHS(英国保健サービス)の育児ガイドでは、
次の点がはっきりと示されている。

  • 黄昏泣きは親のせいではない

  • 抱っこが下手だから起こるものではない

  • 母乳・ミルク不足が原因とは限らない

つまり、
親の育て方や対応の良し悪しで起こる現象ではないというのが、
国際的にも共通した見解だ。

これは、新米パパ・ママにとって、
何より大事な事実かもしれない。


2. 科学的知見に基づく対処法

ここからは、
「必ず止まる方法」ではなく、
泣きやすさを少しでも軽くするための現実的な工夫を紹介する。

① 刺激を減らす(環境調整)

AAPやRCPCHのガイドでは、
泣きやすい時間帯には刺激を減らすことが勧められている。

  • 照明を暗めにする

  • テレビや音楽を控える

  • 人の出入りを減らす

夕方は、赤ちゃんにとって
一日分の刺激が溜まっている時間帯だ。

「頑張らせない環境を作る」
それだけでも、泣き方が変わることがある。

② 縦抱き・スキンシップ

皮膚接触(スキン・トゥ・スキン)は、
心拍数や呼吸を安定させることが、複数の研究で示されている。

  • 縦抱き

  • 胸に密着

  • ゆっくり揺れる

派手な方法ではないが、
一番原始的で、一番効果が安定している方法でもある。

③ おくるみ(スワドリング)

おくるみによる包み込みは、
モロー反射を抑え、情緒の安定や入眠に有効であることが、
小児睡眠研究でも報告されている。

ただし、
股関節の動きを妨げない包み方が重要だ。

「きつく包む」より、
「安心して包まれる」感覚を意識したい。

④ 外気刺激による環境リセット

環境刺激を一度変えることで、
泣きが軽くなる例は、臨床現場でもよく経験されている。

  • 窓を開ける

  • ベランダに出る

  • 短時間の散歩

泣き声に煮詰まったときほど、
いったん場所を変えるのは、意外と有効だ。


3. 受診が必要なケース(専門家が示している目安)

AAPやNHSでは、次の場合は受診を勧めている。

  • 発熱を伴う

  • 哺乳量の著しい低下

  • 活気がない

  • 嘔吐・血便などを伴う

  • 泣き方が明らかに異常

夕方だけ泣き、
それ以外の時間は元気でよく飲み、よく眠るなら、
黄昏泣きの可能性が高いと考えてよい。


4. 新米パパ・ママへ

医学的に分かっている、
いちばん大切な事実は、これだ。

  • 黄昏泣きは一時的である

  • 多くは3〜4か月で自然に消える

  • 親のせいではない

黄昏泣きへの最大の対処法は、
**「これは必ず終わる現象だと知っていること」**なのかもしれない。

今日止まらなくてもいい。
明日また試せばいい。

育児は、
完璧より、継続だ。

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黄昏泣きとは?夕方になると赤ちゃんが泣く理由と体験談

夕方になると、わが家には毎日ほぼ決まった時間に、ある“現象”が訪れるようになった。

時計を見ると、だいたい17時半すぎ。
さっきまで機嫌よくしていた赤ちゃんの顔が、少しずつ曇りはじめ、18時を回ったころには、まるで誰かが見えないスイッチを押したかのように、泣き出す。

最初は、原因探しに必死だった。

おむつは?
さっき替えた。
ミルクは?
飲んだばかり。
暑い?寒い?
室温は問題なさそう。

それでも泣く。
しかも、だんだん声が本気モードになっていく。

「これは…何が起きているんだ?」

医療職として「原因があるはず」と思ってしまう性分もあり、
私は毎日のように頭の中で鑑別診断のようなことをしていた。

腹痛?
眠気?
刺激過多?
それとも、ただの機嫌?

しかし、どれにもはっきり当てはまらない。

そんなとき、育児書の片隅に書かれていた言葉に目が止まった。
黄昏泣き

夕方から夜にかけて、理由がはっきりしないまま激しく泣く、乳児期特有の現象。
多くは生後数週から始まり、3〜4か月頃には自然と落ち着く。

読んだ瞬間、思わずこう思った。
「それ、毎日うちで起きてます。」


黄昏泣きの面白いところは、時間がやたらと正確なことだ。

今日も、
昨日も、
一昨日も、
ほぼ同じ時間帯に始まる。

まるで、赤ちゃんの体内時計に「夕方アラーム」が内蔵されているかのようだ。

わが家では、夕飯の準備を始めようとした瞬間に始まることが多く、
片手でフライパン、片手で抱っこ、という妙なバランス訓練が日課になった。

火を止めたまま、
泣き止むのを待つ。

結果、夕飯はよく冷める。
親の腕はよく鍛えられる。
謎の持久戦である。


原因は、実は今でもはっきり分かっていないらしい。

脳や神経の発達がまだ未熟で、
日中に受けた刺激をうまく処理できず、夕方に一気に疲れが出る説。

昼夜のリズムがまだ整っていない説。

消化機能が未熟で、お腹の張りや不快感が関係する説。

どれももっともらしい。
そして、どれも「今はそういう時期です」としか言いようがない。

つまり、**黄昏泣きは、病気ではなく、成長の途中で起こる“仕様”**らしい。

そう分かっても、実際に泣き声を聞いていると、
頭で理解するのと、心が追いつくのは別問題だ。


ある日、ふと気づいたことがある。

私はいつの間にか、
「泣き止ませること」ばかりに集中していた。

抱っこして、
揺らして、
歩き回って、
泣き止まないと、少し焦る。

でも、黄昏泣きには、
「これをすれば必ず止まる」という正解はない。

静かにする。
部屋を暗くする。
外の空気に当たる。
縦抱きにする。

どれも多少は効く。
でも、効かない日も普通にある。

そんなとき、思い切って、
「止める」のをやめてみた。

安全だけ確保して、
抱っこしながら、
ただ一緒に泣く時間として過ごす。

すると、不思議と、
こちらの気持ちのほうが少し楽になった。


そして、もうひとつ気づいたことがある。

あれほど毎日続いていた黄昏泣きは、
ある日を境に、少しずつ減っていった。

泣く時間が短くなり、
声の勢いが弱くなり、
気づけば、夕方が静かに過ぎる日が増えていた。

「いつ終わったのか」は、正直よく覚えていない。
でも、確実に、終わっていた。

今振り返ると、
あの時間は、赤ちゃんが必死に世界に慣れようとしていた時間だったのだと思う。

光、音、人、昼と夜。
小さな体で、それらを毎日必死に処理して、
夕方になると、限界が来て、泣いていたのかもしれない。


もし今、黄昏泣きの真っ最中にいる人がいたら、
トムパパ的には、これだけ伝えたい。

それは、あなたの育て方のせいではない。
それは、あなたの抱っこが下手だからでもない。
それは、赤ちゃんが順調に成長している証のひとつだ。

今日も夕方が来る。
また泣くかもしれない。

でも、その時間は、
意外とあっさり、終わる。

そして終わったあと、
「あの時間、大変だったなあ」と、
少しだけ懐かしく思い出す日が、きっと来る。

冷めた夕飯と、
鍛えられた腕と、
夕暮れの泣き声。

あれは、あれで、
ちゃんと育児の一場面だったのだと思う。

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子どもに伝えたい、95歳の戦争の話


先日、思いがけず95歳の方とゆっくりお話しする機会があった。
年齢を聞いただけでも背筋が伸びるのに、その方は戦争当時のことを、まるで昨日の出来事のように語ってくださった。

一番印象に残ったのは、「とにかくお腹が空いていた」という言葉だった。
毎晩のように空襲警報が鳴り、防空壕へ走って逃げる。自分の家の庭に穴を掘り、そこに身を潜めて夜を明かす。爆音が聞こえるたびに、次は自分の番かもしれないと息をひそめていたそうだ。
防空壕の中は暗く、湿っぽく、子ども心にも「ここで死ぬかもしれない」と思うほど怖かったという。

それでも一番つらかったのは、やはり空腹だったらしい。
配給は少なく、芋のつるや雑草を食べてしのいだこともあったという。
「今の人は想像もできないだろうね」と、少し笑いながら話してくれたが、その笑顔の奥には、きっと言葉にできない記憶が詰まっているのだろうと思った。

話を聞きながら、ふと考えた。
この方が生きてきた約95年。その間に、世界はどれほど変わったのだろうか。

今の私たちは、コンビニに行けば24時間いつでも温かいご飯が買える。
スマートフォンがあれば、欲しい情報も娯楽も一瞬で手に入る。
お腹が空く前に何かを口にし、「今日は何を食べようか」と悩める時代だ。

それが、ほんの100年足らず前には、命を守るために穴を掘り、空腹を抱えながら夜を越えていた。
このスピード感には、正直、少し怖さすら覚える。
今は10年、20年で当たり前ががらりと変わる。便利さは増えたけれど、その変化についていく余裕が、心のほうには足りていない気もする。

では、自分はどうだろう。
毎日の食事に、心から感謝しているかと聞かれると、正直そこまでではない。
お腹が空きすぎて動けなくなった経験もないし、「食べられること」そのものを深く考える機会はほとんどなかった。

わが家の食卓を思い返してみる。
「今日のご飯なに?」と子どもに聞かれて、「なんでもいいよ」と適当に返す自分。
冷蔵庫を開けては、「あ、これ賞味期限切れてる」とため息をつき、そのままゴミ箱に入れてしまうこともある。
もしこの光景を、あの95歳の方が見たら、どんな気持ちになるだろう。

今の時代は、食べ物が大量に捨てられている。
コンビニのお弁当やパンが、まだ食べられるのに廃棄されていく現実。
当時を生きた人が見たら、きっと言葉を失うだろう。
「もったいない」という言葉では、追いつかない世界だ。

一方で、私たちは「豊かさ」に慣れすぎてしまったのかもしれない。
選択肢が多すぎて、ありがたみを感じにくくなっている。
不便さや不足があったからこそ、人は感謝できたのではないか。
そんなことを、ふと考えてしまう。

95歳のその方は、静かに、でもはっきりと話していた。
「あの頃を思えば、今は本当にありがたい時代だよ」と。
不思議と、愚痴や怒りは感じなかった。ただ、事実を伝えたいという思いだけがあった。

その言葉を聞いて、胸の奥がじんわり熱くなった。
この平和で便利な日常は、偶然そこにあるものじゃない。
多くの人の苦労や犠牲の上に、ようやく積み上がったものなのだ。

話を聞き終えた帰り道、いつもの景色が少し違って見えた。
コンビニの明かりも、スマホの通知音も、全部が“当たり前じゃない”ものに思えた。
つい先ほどまで、戦争の話を聞いていた自分が、数分後にはコーヒーを買ってスマホをいじっている。
このギャップが、なんとも不思議で、ちょっとだけ怖かった。

トムパパの好奇心として、今回ひとつはっきりしたことがある。
それは、歴史は教科書の中だけにあるものじゃないということ。
すぐそばにいて、耳を傾ければ、ちゃんと今とつながっている。

家に帰って、その日の夕飯をいつもよりゆっくり食べてみた。
「いただきます」を、少しだけ丁寧に言ってみた。
子どもにも、「ご飯ってね、昔は本当に大変だったんだよ」と、今日聞いた話をかみ砕いて伝えてみた。
正直、どこまで伝わったかは分からないけれど、それでもいい気がした。

せめて今日のご飯くらいは、スマホを置いて、味わって食べよう。
そんな小さなことから、大切にしていきたい。
100年でここまで変わった世界を、ただ消費するだけじゃなく、ちゃんと受け取れる大人でいたいと思った。

トムパパの好奇心日記、今日の結論。
「当たり前」は、実はとてもありがたい。
そしてそれに気づけた今日は、ちょっとだけいい一日だった気がする。